第七章:鬼は花かごの上の太子を娶る2





 その花かごは、全体がすべて大紅の絹織物で覆われ、色とりどりの糸によって仲睦まじい竜鳳が刺繍されている。南風と扶揺はそれぞれ左と右に侍り、花かごを守っていた。謝憐はかごの中に乗りこみ、輿夫を従え歩かせながら、のんびりしている。

 八台の大輿を運ぶ八人の輿夫は武芸抜群の武官であった。南風と扶揺は、武芸の強い輿夫を探すために送親隊のふりをして、件の高官の屋敷へ直接赴き、 夜山狩りをしに与君山へ行くと説明した。その高官は何も言わずに大勢の武官を遣わした。武芸抜群の者を探したのは、彼らの助けを期待しているわけではなく、凶鬼に手こずったとき自分で身を守って逃げてほしいからだった。

 しかし実のところ、この八人の武官は、逆に彼らへあまり敬意を抱いていなかった。彼らは邸宅中で一等を争っている好手だ。この英傑たちを導くにふさわしい指導者は誰だろう?というところで自分たちを率いることになったのは、この二人の女のような顔をした男どもで、指揮を執り始めると、屈強な男どもをなんと輿夫なんかにしてくれた。さぞ不愉快なことだろう。主人の命令に従わないのは論外だが心の中には怒りがある。ついつい足取りが不安定になったり、手を震わせたりしながらも、かごはよろよろと持ち上げられた。外からは見えないが、もしかごの中に座っているのがよく可愛がられてきたか弱い者なら、そのうち暗い地面に吐いてしまうのではないだろうか。

 輿の中の謝憐が低いため息をつくのを聞くと、何人かの武官はひそかに得意になっていた。

 外にいる扶揺がひんやりと言った。

「お嬢さん、どうしたんですか? 嫁ぎ遅れずにすんで、涙を流すほど喜んでいるのですか?」

 確かに、生家を出ることができた花嫁が、花かごの上で涙を流すことは珍しいことではない。謝憐は笑った。声は平和そのもので、上下に揺さぶられて苦痛そうにしている様子は一糸もない。

「ちがうよ。ただ、この送親隊には重要なものが欠けてるなあって気づいてさ」

 南風は言った。「何が足りませんか? 準備すべきものはすべて揃っているはずです」

 謝憐は笑った。「二人の花嫁つき侍女」

「……」

 外で二人は期せずして相手を見たが、どんな絵面を想像したのか鳥肌を立てていた。扶揺が言う。

「あなたの家は貧乏だから、侍女を雇うお金はないのです。我慢してください」

「はぁい」

 輿夫武官たちは、彼らのやり取りを聞いて、みな笑わずにはいられなかった。そうしているうちに、心の不満はかなり消え、親しみの念は少し強くなり、かごも安定してきた。謝憐はまた身を寄せて姿勢を戻すと、襟を正して座り、目を閉じて気を休めた。

 しかしすぐに、子供の笑い声が突然彼の耳元で響いた。

 かちゃかちゃ、けたけた。

 笑い声がさざ波のように山野の中に広がり、空に木霊して奇怪であった。しかし、花かごは止まらず、それでもしっかりと進んでいた。南風も扶揺もなにも言わず、何の異常も感じていないようだった。

 謝憐は目を開けて、低い声で言った。「南風、扶揺」

 南風は花かごの左側で「どうかしましたか?」と尋ねた。

「何か来た」

 そのとき、この“送親隊”は、与君山の奥に入っていた。

 あたりは静まり返り、木輿のきしむ音、残枝や枯れ葉を踏む音、かご夫たちの呼吸音などが、その静寂の中で、少しうるさいほどだった。

 その子供の笑い声は、まだ消えていなかった。時に遠く、それは山林の奥にいるかのようで、時に近づき、 かごのそばに腹ばいになっているよう。

 南風は顔をこわばらせた。「何の音も聞こえません」

 扶揺も「私も聞こえません」と冷たい声で言った。

 ましてや他の輿夫たちに、聞こえているはずもない。

「ということは、私にだけわざと聞かせているわけか」

 八人の武官は、もともと武芸にたけていたし、鬼新郎が娶る女には規則性がないと分かっていて、今夜は何も恐れずに帰れるはずだと考えていたが、なぜか、前に奇妙な形で行方不明になった四十人の送親武官のことを思い出して、何人かの額からかすかに冷や汗が出てきた。謝憐は、誰かの足が止まっているのに気づいて、「止まるな。何も起こっていないふりをして」と言った。

 南風は手を振って、彼らに歩き続けるように合図した。謝憐はまた、「歌を歌っているみたい」と言った。

 扶揺は尋ねた。「何と?」

 子供の声をよく聞いて、謝憐は一字一句、一言ずつ繰り返した。「新嫁娘、新嫁娘、紅い花輿の上の新嫁娘……」

 寂夜の中で、彼の間延びした声がはっきりと響く。いかにも聞いたことをそのまま読み上げている風だったが、八人の武官はいとけない幼児の声が、彼と一緒にこの奇怪な童歌を歌っているような気がして、ぞっとしていた。

 謝憐は続けた。「涙があふれ、丘を越えても、盖頭の下では……いけない……笑っては……鬼新……鬼新郎か? それともほかの?」

 それから彼は「だめだ。声はずっと笑っていて、よく聞こえなかった」と言った。

 南風は眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だろう。輿の中に座っている花嫁は、泣かなければならず、笑ってはいけない」

「私が言っているのは、どうしてそいつがあなたに警告しているのかということです」

  扶揺が口を挟んだ。

「必ずしも警告しているわけではないだろう。わざと逆のことを言っている可能性もあります。笑っていれば無事に済むが、騙して泣かせようとしている。これまでの花嫁がこの手に引っ掛からなかったとは限らない」

「扶揺~、普通の花嫁が道でそんな声を聞いたら、死ぬほどびっくりするだろうし、どうやって笑えますか。それに、私が泣くか笑うかに関わらず、最悪の結果はなんだと思う?」

「あなたが強奪される」

「今夜の任務の目的は、これじゃなかった?」

 扶揺は鼻を鳴らしたが、 それ以上反論を続けなかった。「もう一つ、言っておかないといけないことがあるんだけど」と謝憐は続ける。

 南風は「何ですか?」と聞いた。

「私はかごに乗ってからずっと、笑っています」

「……」

 声が途絶えた途端、かごが急に重くなった!

 外の八人の武官が突然混乱を起こして、花かごが完全に 止まった。南風は「慌てるな !」と叫んだ。

 謝憐はちょっと首を上げた。「どうしたの?」

 扶揺が淡々と、「大したことではありません。畜生どもに遭遇しただけです」と言った。

 彼が答えるとすぐに、謝憐は凄惨な狼の声が夜空を引き裂くのを聞いた。

 狼の群れだ!

 謝憐はどう考えてもおかしいと思い、「与君山ではよく狼の群れが出没するのか」と訊いた。

「聞いたことがない! なぜ与君山で出てくるんだ!」と一人の武官輿夫が外で答えた。

 謝憐は眉をひそめて、「うん、じゃあ、私たちは正しい場所に来たんだね」と言った。

 荒山狼の群れだけなら、南風や扶揺にはどうということもない。長年刀の切っ先ほどの狭き武道の境地へ登ってきた武官たちもそうであるはずだったが、先程のあの怪しすぎる邪気に満ちた童謡で頭がいっぱいになっていたために、不意打ちを食らって驚くことしかできない。夜の野林には、緑の幽玄な狼の目が輝き、一匹また一匹と餓狼が森の中からゆっくりと出てきて、包囲してきた。しかし、見ることも殴ることもできる獣と、見えも聞こえもしないものを比べたら、後者のほうがずっと手強い。そこで各位はこぞって手を揉み、腕を奮って殺そうとした。しかし、本番はここからだった。狼たちに続いて、ざわざわと、獣のようで獣ではないような、人に似ているようで人ではないような奇妙な声がした。

 一人の武官が戦き叫んだ。「こ……これは何だ! なんなんだ!!」

 南風も罵倒した。謝憐は、異変があることを知って立ち上がった。「どうしたの?」

 南風はすぐに、「出ないでください!」と言った。

 謝憐がちょうど手を挙げたとき、かごが激しく揺れ、かごの扉の前に気配が現れた。彼は頭を低くすることなく、わずかに目を細め、盖頭の下の隙間から、黒い後頭部を見た。

 かごの中に這入ってきた!

 それは頭をかごの扉にぶつけたが、すぐにまた外の人に引きずられて出て行った。南風はかごの前で「くそっ、鄙奴か!」と悪態をついた。

 鄙奴(ビヌ)だと聞いて、謝憐はすぐ、これは面倒なことになると分かった。

 霊文殿の評定では、鄙奴は“悪”評価にも相応しないものだった。

 鄙奴はもともと人だったと言われているが、こうして見てみると、人であっても、それは奇形だったのだろうと分かる。それは頭と顔を持つが、ぼんやりとしているように見える。それは手と足があるがまっすぐに歩くことができない。それは口と歯があるが、長い間噛んでも人を殺すことができない。しかし、多くの人に言わせれば、もっと怖い『悪』や『厳』に遭遇するのと引き換えであっても、そいつだけには遭いたくないものだった。

 なぜなら、鄙奴は往々にして他の妖鬼と一緒に現れるからだ。獲物が敵と戦っていると突然現れて、しつこく付きまとう手足、ねばねばした体液、そして補給の仲間などを使って、牛皮糖のように獲物に巻きつく。戦闘力は低いわりに、生命力が極めて強く、群れをなして現れることが多いため、どうしても振り払うことができず、迅速に殺すことも難しい。やがて、それに力を消耗され、つまずいたり、一瞬の油断が生まれると、機会をうかがっていた敵の手に落ちてしまう。

 獲物が別の妖鬼に殺された後、鄙奴は食べ残しの脚や腕を拾って、おいしそうに食らい、でこぼこになる。

 これは本当に気持ち悪いものだ。上天庭の神官なら、霊光を放ち武器を祭れば、自然と三舎の距離まで遠ざけることができるが、中庭の小神官たちにはこれは扱いにくい。扶揺は甚だしい嫌悪感をあらわに言う。

「私は、一番嫌いなんですよ、これが! 霊文殿は、こいつがいるとは言ってませんでしたよね?」

「言ってないね」

「使えねえ!」

「何匹来た?」

「百匹以上、もっと多いかもしれない! あなたは出てこないで!」

 鄙奴というものは 、多ければ多いほど強くなり 、十匹を超えると手強くなる。なのに百匹以上? だらだら殺していたら彼らはいつまでも余裕のままだ。一般的に彼らは人口の多いところに住むのが好きなはずで、与君山にこんなにたくさんいるとは予想外だった。謝憐は少し考えてから、わずかに腕を上げ、包帯を巻いた手首の半分を見せた。

「行きなさい」

 命令が下るなり、その白綾はひとりでに彼の手首から滑り落ち、生き物であるかのように、花かごの帷帳から飛び出していった。

 謝憐は輿の中に座り、「絞め殺せ」と温かい声で言った。

 黒夜の中、突然白い影が毒蛇のように泳いできた。

 その白綾が包帯のふりをして謝憐の手に巻かれていたときはせいぜい数尺にすぎなかったが、それが鬼魅的な稲妻となって飛杼から打ち出され、殺し合う人々の間を行くと、無限に伸びていくようだった。カカ、カカと一連の音が聞こえたかと思うと、数十匹の野狼、鄙奴は、一瞬にして首を絞られた!

 南風に巻きついていた六匹の鄙奴はたちまち倒れ、彼は片手で野狼を断ち切ると、危険から脱してもいなければ余裕もないのに、よっぽど信じられなかったのか、かごに向かって言った。「あれは何ですか! あなたは法力もなければ法宝も使えないんじゃなかったんですか!?」

「何事にも例外があるから……」

 南風はひどく怒って、かごの扉を叩いた。

「謝憐! はっきり言いなさい、それはいったいなに?! もしや……」

 彼の手は、輿全体をばらばらにしかねないほどで、謝憐は手で扉を支えなければならず、彼はちょっと呆然とした。南風の言葉の語気は、彼にむかし風信が怒っていたときの姿を思い出させた。南風がまたなにか言いかけたとき、ふと遠くで武官たちの悲惨な叫びが聞こえてきた。扶揺が冷たく言った。「言いたいことは群れを退けてからまた言え!」

 南風はしかたなく救助に向かった。謝憐はすぐ我に返って言った。「南風、扶揺、君たちは先に行って」

 南風は振り返った。「なぜ?」

「かごを囲んでいると、ずっと何かが来てきりがない。人を連れて先に行って。私は残って新郎を待ちます」

 南風はまた「あなたはまた一人で……」と罵りそうになった。だが扶揺が冷ややかに言う。「どうせあの綾を駆使できるのだから、しばらくは持つだろう。お前はぐずぐずしている暇があるなら、まずこの群れを落ち着かせてから戻って助け来たらどうだ。お先に失礼します」

 彼は聡明で淡々としており、行けと言えばすぐ行って、片時も躊躇しない。南風は歯を食いしばりながらも、彼の言うことが正しいことを理解し、残りの何人かの武官に、「ついてきてくれ」と言った。

 花輿を離れてしばらくは、その狼の群れと鄙奴たちはまだつきまとっていたが、やはり新たな一波が包囲攻撃に加わってくることはなかった。二人はそれぞれ四人の武官を護り、道中で戦っていた扶揺は憎々しげに「こんな馬鹿なことあるか、私でなければ……」と呟いた。

 言葉が尽きて、二人は目を見合わせたが、いずれも奇怪な目つきであった。扶揺は言葉を詰まらせ、先頭を切ると、二人はしばらく黙って、急いで歩き続けた。

 花かごの周りは 、死体で地面がいっぱいになっている。

 若邪(ルォイエ)綾は、飛びかかってきた狼の群れと、鄙奴たちをことごとく絞め殺し、飛んで帰ってきて、ひとりでに柔らかく彼の手首に巻きついた。謝憐は輿の中に静かに座り、果てしない闇と、かさかさとさざめく樹海に包まれていた。

 突然 、さまざまな物音が静まり返った。

 風の音、林の海の声、魔物のいななきが、一瞬にしてすべて消えた。まるで何かが来たのを恐れているかのように。

 そして、彼は二つの軽い笑い声を聞いた。

 ひとつは若い男のようで、もう一つは少年のようだった。

 謝憐は黙っていた。

 若邪綾は彼の手に静かに巻きつき、勢いを蓄えて出番を待っていた。殺気がにじみ出れば、それはすぐに狂ったように十倍の力で反撃して戻ってくる。

 意外にも、不意の反抗も殺意やって来ず、別のものが待ち受けていた。

 花かごの簾が軽く持ち上げられると、真っ赤な紅盖頭の下の隙間を通して、謝憐は、誰かが彼に片手を伸ばしたのを見た。

 指節がはっきりしている。第三指に赤い糸が一筋結ばれていて、すらりとした青白い手に垂れて、まるで艶やかな縁のようだった。




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Author:kirihata
中国語初心者です。原作の読み返しついでに自分なりに訳してます。
魔翻訳に毛が生えた程度なのでご了承ください。

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