第二章:がらくた仙人みたび仙京に登る1



「おめでとうございます、太子殿下」

 言葉を聞いて、謝憐(シェリェン)は顔を上げ、返事をする前に笑った。

「ありがとうございます。でも、私の何をお祝いしてくれているのか聞いてもいいですか?」

 霊文(リンウェン)真君は後手を組んで立っていた。

「貴方は『最も下界に貶されてほしい神官』 番付の第一位に選ばれました。おめでとうございます」

「まあ、一位は一位です。お祝いしてもらったからには、きっと良いことがあるんでしょう」

「ええ。一位は百の功徳を得られます」

 謝憐はすぐに、「またこんな番付があったら、ぜひ必ず私を入れてくださいね」と言った。

「貴方は二位が誰か知っていますか?」

 謝憐はちょっと考えてみた。

「難しいな。なにしろ実力で言えば、私一人で一位から三位まで独占できるはず」

「違いありませんね。たしかに二位はいません。貴方さまは一騎絶塵、望絶莫及。誰も貴方の足元に及ばない」

「これはこれは恐縮です。ちなみに前回の一位は誰でしたか?」

「おりません。この番付は今年から、正確には今日からはじまったので」

「えっと、」謝憐はぽかんとした。「その、ひょっとしてこれは私のための番付だったりしませんよね?」

「ちょうど名前が上がって、誰もいないから都合よく優勝したと考えてもいいでしょう」

 謝憐はにこにこした。「よかった。そう思えば、もっとうれしいです」

「なぜ貴方が優勝したのかご存知ですか?」と霊文は続けた。

「多くの人にそう期待されているからでしょうか?」

「理由をお教えいたしましょう。あの鐘を御覧ください」

 彼女が指を上げ、謝憐は振り返る。そこでは非常に美しい白玉寺院や亭台楼閣、空にたちこめる仙雲、こんこんと湧く泉と飛び立つ鳥の群れが望めた。

 彼はしばらく見て、やがて言った。

「方向が違いません? 鐘はどこにあるのでしょう」

「間違っていません。あそこです、見えましたか?」

 謝憐はまた真剣に眺めて、「私には見えません」と正直に言った。

「見えなくて当然です。もともとそこには鐘があったのですが、貴方が飛昇したときの震動で落ちてしまいました」

「…………」

「あの鐘は貴方よりも年重ですが、にぎやかで生き生きとした性格で。誰かが飛昇すると、何度か鳴いて歓迎するんですよ。貴方が飛んできた日なんで、狂ったように音が響いてまったく止まりませんでした。最後に自身が鐘楼から落ちて、やっと静まったのです。落ちてきたとき、通りすがりの神官にぶつかりましたが」

「その……今は大丈夫そうですか?」

「まだ修理中です」

「鐘がぶつかった神官のほうです」

「鐘が当たったのは武神で、彼はその場で応じて鐘を真っ二つにしました。まだありますよ。あそこの金殿を御覧ください。見えますか?」

 彼女はまた指さして、謝憐もまた顔を向け、雲の中に輝く瑠璃の金頂を眺めた。「ああ、今回は見えます」

「見えているのなら何かの間違いでしょう。そこには何もないはずですから」

「……」

「貴方が飛昇したときに、高位の神官の金殿は揺るがされ、金柱は傾倒し、瑠璃は砕けました。しばらくは修理できそうにないものもありましたので、臨時で新しいものを建設して当面は間に合わせることとなりました」

「これって私の責任ですか?」

「もちろん」

「う……」謝憐は確認してみた。「昇ってきたばかりなのに、私はもう多くの神官から恨みを買ってしまったのかな」

「挽回できるかもしれませんし、できないかもしれません」

「どうすれば挽回できますか?」

「そうですね、八百八十八万功徳でしょうか」

 謝憐はまた笑った。

「もちろん、あなたが十分の一も出せないことは知っています」

 謝憐は率直に言った。「なんというか、恥ずかしながら、その万分の一を要求されても出せません」

 人間界の信者たちからの信仰は神官の法力の源であり、彼らが捧げた香火と奉納は、『功徳』と呼ばれる。

 笑い終わって、謝憐は真剣に尋ねた。

「今から私をここから蹴落として、八百八十八万の功徳を与えるのはどうですか?」

「私は文神です。蹴り落とされたければ武神を探してください。強く蹴られれば蹴られるほど、得られる功徳も増えるかもしれませんね」

 謝憐は嘆息した。

「ちょっと考えさせてください」

 霊文は彼の肩を叩いた。

「焦ることはありません、車が山の前に来れば道が開くものです」

「あいにく私の場合、船が橋に近づくなり自然と沈むものなんですよね」

 八百年前の仙楽宮最盛期であれば、八百八十八万の功徳など問題にもならならず、太子殿下が目を回すこともなかっただろう。しかし過去の栄光は過ぎ去り、人間界には彼の寺院がひとつも残っていなかった。信者もなく、線香もなく、誰も祀ってくれない。

 みなまで言うな。どうせない、ない、なんにもない!

 謝憐は仙京大通りでひとりうずくまり長いこと頭を痛めていたが、ふと思い出した。彼が飛昇してから三日近く経っていたが、まだ天庭の通霊陣に入ったことがなく、ついさっき口令を聞けば良かったのに、忘れてしまった。

 上天庭の神官たちは陣法を併設しており、その陣法内ではいつでも通霊伝音を使って意思疎通ができる。飛昇後は入陣しなければならなかった。しかし入るには口令を知っている必要があり、特定の通霊陣は神識で見つけることができた。謝憐が前に入陣したのは八百年前のことで、口令が何なのか覚えていなかった。彼は神識で通霊陣を検索し、ある陣がちょっと似ている気がしたので適当に入ってしまった。陣に入ると、四方八方から叫びが押し寄せてきて、彼はよろめいた。

「今回の太子殿下がいつまで天庭にいられるか、賭けてみましょう!!」

「一年に賭ける!」

「一年は長すぎだ。前は一炷香だったから、今回は三日間だろう。三日三日!」

「よせよせ馬鹿だろ! もう三日も過ぎてるぞ、どうすんだよ!?」

 ……謝憐は黙って退出した。

 違った。絶対にこれは違う。

 上天庭には人界のある方面一帯に鎮座しているような大神官がいて、いずれも名が知れていて多忙を極めている。しかも、みんな飛昇して八百年が経つ熟練の天官なので、今の地位を自負しているだろうし矜持は高いだろうし、言動は往々にして偉そうだったりする。彼だって初めて飛昇したときは、興奮のあまり、通霊陣にいた神官をいちいち捕まえは挨拶して、この上なく真剣かつ詳細に、自分の頭から足まで紹介したものだった。

 彼は退出してからまた当てもなく捜索して、また適当に陣に入った。謝憐は入るなり、こんなに静かなんだし、たぶんこれだろうと思った。

 そのとき、「太子殿下、また帰ってきたのですか」と、軽やかな一声が投げかけられた。

 この声は一見とても気持ちが良く、柔らかな声で、口調も上品である。しかし、よく聞いてみると、声が冷たく、気持ちも冷たく、あまり好意的そうではなかった。

 謝憐は本来規則どおりに入陣し、黙って身を潜めていればよかったが、話しかけられた以上、聞こえていないふりをするわけにもいなかった。それに彼は、天庭にはまだ自分からこの疫病神と話をしてくれる神官もいるのだと分かって、とても喜んでいた。そこで彼はすぐに答えた。

「そうですね! 皆さんこんにちは、また帰ってきました」

 その一問一答で、今霊陣内に通じている神官たちが、耳を澄ませはじめたことを、彼は知らずにいた。

 その神官はゆっくりと言った。

「太子殿下の今度の飛昇は、たいそうな激震でしたね」

 天庭では、帝王将相がそこらをほっつき歩いており、流れる水のように英雄豪傑が補給されていく。

 仙神になるためには、まず人間として抜き出なければならない。大きな功績を立てた人や天賦の才のある人には、並の人間よりもっと大きな出世機会がある。だから、国主姫皇子将軍なんて、ここでは珍しいものではないと言っても過言ではない。ここに天の寵児ではない者がいるだろうか? 神官たちはお互いを、陛下殿下、将軍様、補佐主に盟主などと丁寧にお呼びはするものの、あくまで形式的なものに過ぎない。しかし、それにしてもこの神官が言う「殿下」は、あまりいい味がしなかった。

 謝憐は左を向いても太子殿下、右を向いても太子殿下として扱われてきたものだが、この人物の呼びかけからはちっとも敬意を感じず、むしろ針で突かれているような心地を覚えた。通霊陣の中には他にも、れっきとした太子殿下として扱われる神官が何人かいたが、みなその人物にあのような声で呼ばれて、背中の毛がよだつような思いをしていた。謝憐はかの神官の意地の悪さに気づいていたが、争いを起こしたくないし、逃げたいなあと思いながらも、笑って、「それほどでも」と返した。しかしその神官は彼に逃げる機会を与えなかった。

「太子殿下はご健勝のようでなにより。しかし、私はいささか運が悪いようだ」

 突然、謝憐は霊文から密話を受け取った。

 彼女は「鐘」とだけ言った。

 謝憐は一瞬で理解した。

 鐘をぶつけられた武神が彼か!

 なるほど、怒っているのも無理はない。謝憐はいつも謝るのが上手で、すぐに、「鐘のことを聞きました、本当に申し訳ないです、ごめんなさい」と言った。

 相手はふんと鼻を鳴らしたきり。心情は推し量れない。

 天界の名声高い武神がたくさんいて、謝憐の後に飛昇した新人も少なくはない。声を聞いても謝憐は彼が誰だか分からずにいたが、申し訳なく思っている相手の名前を知らずにいるのはまずい。彼は「貴殿は何とおっしゃいますか」と問うた。

 そう言うと、向こうは黙りこんだ。

 向こうだけでなく、通霊陣全体が固まって、空気が死んだ。

 そこで霊文がこっそり通霊で話しかけてきた。

「殿下、時間をかけても思い出せないご様子ですし、言っても分からないかもしれませんが、一応お伝えしておきます。彼は玄真です」

「玄真?」

 彼は顎を押えていたが、つい反応して、少し驚いたように問い返した。

「慕情なのか?」

 玄真将軍は、南西に鎮座した武神である。七千の寺院を抱えており、人間界では甚だしい声誉を受けている。

 この玄真(シュエンジェン)将軍は、本名を慕情(ムーチン)といい、八百年前、仙楽宮太子殿のもとで仕えていた副将であった。

 霊文も戸惑っていた。

「本当にわからなかったのですか?」

「本当にね。私が知っている彼はこんな感じじゃなかったからかな。それに最後に会ったのはいつだったか。五百年か六百年かな。どんな顔をしているのかさえ覚えてないのに、どんな声をしていたかだなんて思い出せるわけないよ」

 通霊陣内はまだ沈黙に支配されていた。慕情は何も言わない。他の神官たちは、なにも聞いていなかったふりをしながら、彼らの中の誰かが早く口火を切るのを狂おしいほど待っていた。

 この二人といえば、気まずくてしかたない。彼らの間の紆余曲折は何年にも渡って言い伝えられていて 、諸君はいろいろとご存知である。当時、謝憐は仙楽太子として尊ばれ、皇極寺で修行していた。この皇極寺は仙楽国の国立道場であり、入門者の選抜基準が厳しかった。慕情は貧民出身で、さらには父が斬首された罪人であり、そんな人間が皇極寺に入る資格を持つはずがなく、雑役になるほかなかった。道寺では太子殿下の部屋を掃除し、お茶出しに水仕事にと懸命に尽くしていた。謝憐は彼が一生懸命努力しているのを見て 、国師に頼んで例外的に彼を弟子にしてもらった。太子殿下の金口玉言のおかげで、慕情は太子と一緒に修行することができた。そして謝憐が飛昇すると、彼は将として彼を指名して、彼を連れて共に仙京に登った。

 しかし、仙楽国が滅亡して謝憐が貶謫された後、慕情は彼に従わなかった。ついてこないばかりか 、彼のためになにも言葉をかけなかった。どうせ太子が落ちぶれたのでそばを離れ、幸運にも修行に適した洞穴を見つけて修練を積み、数年もたたないうちに天劫が渡って、自分で飛昇したのだろうという謂れである。

 かつては一人が天に一人が地にいて、今もそうだが、二人の境地は完全に逆転しまっているのだった。

 そこで霊文が「彼、頭にきてますね」と言った。

「だと思う」

「私が話題を変えましょう。その隙に退席されてください」

「構わないよ。何もなかったような顔してればいいじゃない」

「大丈夫ですか? お二人の確執は皆さんご存知のところですが」

「ぜんぜん大丈夫!」

 謝憐という人は、何でもへっちゃらで、死ぬこともない。持っているものは多くないし、面子もたくさん無くしてきた。この何倍も気まずいことを彼はやったことがあるが 、大したことではなかったと心の底から思っている。だが予想外にも、彼が「大丈夫」と言った途端に、

「私の金殿を壊しやがったのは誰だ! 出てこい!」

 と、咆哮が轟いた。

 その怒号に、陣内の天仙神たちの頭皮は爆発しそうだった。

 胃がひっくり返るような思いをしていたが、すぐに誰もが息を殺して、謝憐がどのように罵り返すのかを心待ちにしていた。意外にも、聴衆の期待に応えるどころか期待を上回って、謝憐が口を開く前に慕情が先に声を出した。

 彼は「ふふ」と二 、三回笑った。

 たったいま通霊に参加した神官は冷たく言った。

「お前がやったのか? いいだろう、待ってろ」

「私だとは言っていない。勝手に盛り上がられても困る」と慕情は淡々と言った。

「では、何を笑っている? 頭がイカれたか?」

「は、お前の言うことがおかしくてさ。お前の金殿をぶっ壊したお方は、いまこの通霊陣におられる。自分で聞け」

 こんなことになってしまっては、ここで逃げて恥を晒すわけにはいかない。

 謝憐は咳払いをした。

「私です。ごめんなさい」

 彼が声を出すと 、この方も黙りこくった。

 また霊文が耳打ちしてきた。

「殿下、彼は南陽です」

「今度は分かった。でも彼は私を覚えてなかったみたい」

「いいえ、彼は人界での活動が多く、あまり仙京へ居着いていないのです。貴方が飛昇したことも知らなかったのでしょう」

 南陽(ナンヤン)真君は、東南に鎮座している武神である。八千近くの寺院を預かり、民に広く愛されていた。

 本名は風信(フェンシン)であり、彼もまた八百年前、仙楽宮太子殿座のもとにいた第一神将であった。

 風信は忠誠心に篤く、謝憐が十四歳の時から侍従をつとめ、太子とともに育ち、一緒に天に登り、ともども人界に貶され、彷徨った。残念ながら最後まで共にこの八百年を乗り越えることはできず、あるときついに耐えかねて道をたがえ、二度と姿を見せなかった。



****

「焦ることはありません、車が山の前に来れば道が開くものです」
「あいにく私の場合、船が橋に近づくなり自然と沈むものなんですよね」

 原文では「莫慌,车到山前必有路。」「我是,船到桥头自然沉。」という風になっています。これは「车到山前必有路,船到桥头自然直(車が山の前にきたら道は開けるし、船が橋のたもとに着いたら自然と真っ直ぐすすめるものだ)」という諺がもとです。要は「やればなんとかなるよ」と霊文が慰めていたのですが、謝憐は自分の不幸体質を自虐して、「船到桥头自然」を「船到桥头自然」と言っています。


 乱暴な口調になってるところは原文で他妈的などのスラング(クソという意味に近い)を使っているか、私が脚色してる場合があると一章のページで書きました。風信の場合は前者です。彼は他妈的!とか我操了!とか言いすぎなので。

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kirihata

Author:kirihata
中国語初心者です。原作の読み返しついでに自分なりに訳してます。
魔翻訳に毛が生えた程度なのでご了承ください。

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