第十七章:菩薺寺にて鬼が半月関を語る1

 三郎は彼をちらりと見て、「ちょっと出かけるね」と笑った。

 彼は飄々と一言置いて行くと、くるりと身体の向きを変えて行ってしまった。明らかに謝憐は追いかけて尋ねるべきだったが、どうも奇妙な感覚があった。この少年がちょっと出かけると言ったなら、それほど時間をかけずに戻ってくるだろうと思った。まるで見てきたように。

 昨夜町を回っていたときに貰ったものをあれこれ漁ると、謝憐は左手で鉄鍋、右手に包丁を取り出し、卓子の上の果物野菜の山を見ると、手を付け始めた。

 一柱香ほど経つと、菩薺寺の外で足音がした。その早くも遅くもない自然体の足音を聞いていると、あの少年が歩いているときの悠然とした姿が想像できた。

 そのとき、謝憐が手に持っていたものはもう二つの料理になっていて、彼は皿の中のものあれこれ見て、長いため息をつくと、もう見たくなくなり、外に出てみた。やはり三郎がいた。

 その少年は寺の外に立っていた。日が高くなったせいか、紅衣を脱いで適当に腰のあたりで縛っていて、上半身は白い軽衣だけになっていた。袖を捲るとてきぱきして見える。彼は右足で四角い木の板を踏み、左手で鉈を回していた。どこかの村人の家から借りてきたのか、その鈍く重そうな一品彼の手の中で楽々と扱われている。しかし切れ味はなかなかで、時々その板の表面を両刃で削っているのだが、削りかすは皮のようだった。彼は一瞥して出てきた謝憐を見ると、「できたよ」と言った。

 謝憐が覗き込んでみると、彼はなんと一枚の扉を作っていた。しかも大きさがちょうどよく、形が整っていて、表面はとても滑らかに仕上げられている。素晴らしい腕前だった。この少年は頭脳派のようだったので、謝憐はてっきり三郎は実務に疎く肉体労働をしたがらないほうだと思っていた。まさか彼の仕事ぶりがこれほどきびきびしたものだとは。

「お疲れ様でした、三郎」

 三郎は笑って応えなかった。無造作に鉈を投げると上着を直して、扉を叩いた。

「お札を描くなら、戸に描いたほうが良いでしょう?」

 そう言って彼はさりげなく簾を上げて、中に入った。

 やはり簾のいかめしいお札は、やはり彼には何の抑止力にもなっておらず、三郎も気にしていないようだった。

 謝憐は新しい戸を閉めると、思わず開けて、また閉めて、また開けて、また閉めて、この戸が本当によくできていると感動していた。何度か開閉を繰り返していると、急にはっとして、自分はなんてつまらないのだろうと思った。三郎はもう部屋の中に座っていた。謝憐は戸を手放すと、皿の上に今朝村人が供えた饅頭を載せて、卓子の上に置いた。

 三郎は饅頭を見ても何も言わなかったが、何かを見抜いたかのように低く笑った。謝憐は何事もないように水を二杯分注いで、ちょうど座ろうとしたとき、三郎の袖を捲くり上げた腕を見ると、そこに小さな、とても奇妙な文字を刺した刺青があった。三郎は彼の目に気づいて袖を下ろした。「子供の頃に刺したんだ」と笑った。

 袖を下ろしたあとも、余計なことを言いたくなようだった。謝憐は理解している。彼は座ってまた姿絵を見上げると、「三郎、君は本当に絵が上手だ。家で教わったの?」と言った。

 三郎は箸で饅頭を何度かつついた。「誰にも教わってない。楽しいから描いていただけ」

「どうして君は仙楽太子悦神図まで描けるんだろう?」

 三郎は笑って、「貴方が俺は何でも知ってるって言ったんだよ? もちろん描き方も分かるよ」と言った。

 これはなかなか図々しい答えだったが、彼の態度は堂々としていて、謝憐が疑うのも、さらに問い質してくるのも怖くないようだった。謝憐もにっこり笑って追及しなかった。そのとき、外が騒がしくなった。二人は期せずして同時に頭を上げ、顔を見合わせた。

 外で誰かが勢い良く扉を叩くのが聞こえた。

「大仙よ。大変だ、大仙助けてくれ!」

 謝憐が戸を開けてみると、その前には人の群れが立っていて、輪になっていた。村長は彼が扉を開けるのを見て大いに喜んだ。「大仙よ! この人は死にそうだ! 早く助けてやってくれ!」

 謝憐は人が死にそうだと聞くと、急いで診察した。村人たちが囲んでいたのは一人の道人で、髪を振り乱し顔は垢まみれで、全身黄砂に塗れて、服と靴の裏はぼろぼろだった。何日も駆けずり回っていたらしく、ついに倒れ、ここまで運ばれてきたようだ。

「慌てないで、死んでません」

 謝憐は身をかがめてその人の身体を調べた。すると、彼が身につけているのは八卦、鉄剣など、どれも効力のある法器であると分かり、どうも普通の道人ではないようで、心が沈まずにはいられなかった。しばらくして、この道人はやはりのんびりと目を覚まし、しわがれた声で訊いた。

「ここはどこだ?」

 村長は「ここは菩薺村だ」と言った。

 その男はつぶやいた。「出てこれた、出てこれた、やっと逃げられた……」

 彼はあたりを見回すと、突然目を見開き怯えて、「た、助けてくれ! 助けて!」と言った。

 この反応を謝憐はとっくに予想していた。

「道友、いったいどういうことなのか、誰を助けてほしいのか、どうしたのか、焦らず、ゆっくり話してほしい」

「そうだ、心配しないでください。私たちには大仙がいる。きっと全部解決してくれる!」

  謝憐:「???」

 この村人たちは彼が神威を披露しているところ見ていないはずだが、本当に彼を生きた神だと思っているらしい。謝憐はなんと言ったら良いか分からず、全部解決できるとは保証できないんだけどなと思いつつ、男に言った。

「あなたはどこから来たんですか?」

「私は……私は半月(バンユエ)関から来た!」

 それを聞いて、一同は顔を見合わせた。「半月関ってどこだ?」「聞いたことないよ!」

「半月関は西北一帯にあって、ここからはとても遠い。どうやって来たんですか?」

「私は……私は必死で逃げてきたんだ」

 彼の話は筋があやうく、情緒が乱れていた。この状況では、人が多ければ多いほど上手く話せなくなるようだ。多くの人があれこれやかましく言って、声は届かないし聞こえないので謝憐は「中に入って話そう」と言った。

 彼はその男を軽々と持ち上げて中に連れて行くと、村人たちに向き直った。

「皆さん帰ってください。見物はご遠慮願いたい」

 しかし、村人たちはとても熱心だった。

「大仙、いったいどうしたんだ!」「そうだよ、いったい何があったんだ?」「困ったことがあればみんなで助け合おう!」

 彼らがやる気になればなるほど、おそらく役に立たないだろう。謝憐はしかたなく声を低めて、粛然と言った。

「邪にかかったのかもしれません」

 村人たちはその話を聞いて震えた。邪にかかったら大変だ! 見るのはやめよう。あっという間に散ってしまった。謝憐は声を上げて笑い扉を閉めた。三郎はまだ卓子に座っていて、手で箸を回して遊んでいた。彼は横目でその道人をじっと見ていて、その眼差しは意味深だった。謝憐は彼に向かって、「構わないよ、食べてなさい」と言った。

 彼はその道人を座らせると、自分は佇んだまま言った。

「道友、私はここの寺主であり、修行者でもあります。緊張する必要はありません、何でもおっしゃってください。もしかしたら私がお役に立てることがあって、微力ながら力を尽くすことができるかもしれません。それでさっきおっしゃってた、半月関はいったいどうしたのでしょう?」

 その男は一息ついて、やっと人の少ないところに着いて、彼を宥める言葉を聞き、ついに冷静になったようだ。

「お前さんはそこについて、なにか聞いたことはあるかい?」

「聞いたことがあります。半月関は砂漠のあいだに挟まれたオアシスの中にある。半月の夜景は非常に美しく、その輝かしい美しさから半月の名はとられたと」

「オアシス? 美しい景色? それは二百年前のことだよ。今は半命関が似合いだ!」

 謝憐は少々呆気にとられた。「なぜそんなことに?」

 その男は青い顔をして、恐ろしいほど青くなりながら言った。

「誰がそこを通っても、少なくとも半分の人が跡形もなく消えるからだよ。半命関に違いないだろう?」

 これは本当に聞いたことがない。謝憐は「それは誰から聞いたのですか?」と言った。

「誰からも聞いてない、私がこの目で見たんだ!」彼は起き上がった。「ある商隊がそこを通りかかって、この場所がおかしいことを知ると、私たち一門すべてに目的地まで護衛するよう頼んだ。だが……」彼は悲しみ憤っていた。「結局護衛が終わったときには,私一人しか残らなかった!」

 謝憐は手を挙げて、彼にしっかり座って興奮しないように示した。「あなた方一行は何人いましたか?」

「私たち一門は、商隊を加えて、だいたい六十人以上いた!」

 六十人以上。女鬼宣姫は百年もの間乱を起こし、霊文殿で計算によれば、最終的に彼女に殺された被害者の数は二百にも満たなかった。こうしたことが百年以上続き、毎回これほど多くの人が行方不明になっているとすれば一大事だ。謝憐は、「半月関が半命関になったのは、いつからですか?」と尋ねた。

「だいたい百五十年ほど前、そこが妖道の縄張りになってから始まったんだろう」

 謝憐は彼らが受けた被害と、彼が口にした“妖道”と詳しく掘り下げていったが、話し合ってから今まで、ずっとどこかで漠然とした違和感を覚えていた。気づいてしまえば、どうしても心の中の奇妙な感覚を誤魔化すことができず、話を収めるとかすかに眉をひそめた。

 そのとき、三郎は不意に話しかけてきた。

「あなたは半月関から逃げてきたんだよね?」

 道人は、「そうだ、そうだとも! 九死に一生を得たよ」と言った。

 三郎は「へえ」と言って、もう口をきかなくなった。しかし、その一言だけで、謝憐は何がおかしいのか気がついた。

 彼は振り向いて、「なら、ここまで逃げてきて、きっと喉が渇いてますよね」と、温かい声で言った。

 道人はぎょっとした。謝憐は一杯の水を彼の前に置いた。「水をどうぞ。ささ、一口飲んで」

 この水に向かって、道人の顔には一瞬の躊躇いが過ぎった。謝憐はそばに立ち、両手を袖に収めて静かに待っていた。

 この道人は西北からはるばる逃亡していたのだから、絶対に喉が渇いていて空腹なはずだ。彼の様子からして、道中で水を飲む暇があったようには見えない。

 だというのに、彼は目を覚ましてから、こんなにもたくさん喋っていたのに、その間に一度も水や食べ物を求めてなかった。彼は部屋に入ってからも、卓子の上の食べ物や水を欲しがる様子をまったく見せていない。

 生きている人間だとは到底思えなかった。

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Author:kirihata
中国語初心者です。原作の読み返しついでに自分なりに訳してます。
魔翻訳に毛が生えた程度なのでご了承ください。

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