第十一章:山は古寺に鎖し林に死体を掛ける3



 その女鬼は頬が長く、双眉が上がっていて、本当に妖艶だった。美しさの中にはまだ三分の英気があったが、今では、美しさの中に怨念を覗かせ、長年狭いところに囚われていたかのように晴れやかでない。地面にひざまずいて、膝下の嫁入り衣装がぼろぼろになっていたから、そう思わせるのも無理はなかった。

 謝憐は彼女をまじまじ見てから言った。

「宣姫?」

 何年もの間、誰も彼女の名前を呼んでいなかったようだ。しばらくして、この女鬼の顔に鬱結した怨念がかすかに散って、目がぱっと光沢を放った。

「……あの方が私を探しにお前を遣わせたのだろう?」

 この“あの方”というのは、当然あの裴将軍のことを指しているのだろうと謝憐は推測した。

 宣姫はまた問い詰めた。「本人は? あの方はなぜ私に会いに来ない?」

 彼女が話しているときの熱い表情、その期待している声に、謝憐は否定しないほうがいいと思った。彼が長い間答えなかったのを受けて、宣姫はすとんと地面に腰を下ろした。

 彼女はその英俊な武神像に背を向け、真っ赤な嫁入り衣装を地面敷いて巨大な血花を咲かせると、髪を振り乱し、途方も無い苦しみを受けているかのように言った。

「……あの方はどうして私に会いに来ないの?」

 この質問には謝憐も答えられず、黙っているしかない。宣姫はその神像を見上げてうらぶれた声で言った。

「裴郎、ねえ裴郎、私は貴方のために祖国を裏切って、私のすべてを捨てて、この有様になった。どうして私に会いに来ないの?」

 彼女は両手で自分の髪を引っ張った。「貴方の心は鉄石で出来ているのか?」

 謝憐は表情を変えず、それを聞いて、ひそかに考えていた。宣姫は彼女が裴将軍のために彼女の国を裏切ったと言っていたが、それはこの裴将軍が二人の濃密な時間に乗じて彼女の口から情報を騙し取り、宣姫の国の敗北を招いたことを指すのではないだろうか? また、裴将軍のせいでこのようになったのだと言っているが、“このよう”とは、当然、この折れた脚の惨状を指しているのだろう。宣姫は女将軍で、身体に障害を負っているはずはない。彼女の足は後に折れたのかもしれないが、これも裴将軍と関係があるのか? 裴将軍が乱を鎮めたあと、なにが彼女の恨みをこれほどまでに深刻にしたのだろうか?

 彼は自分の考えていることはみな悪趣味だと思っていたが、宣姫はこれほどまでに怨念が深く、罪のない人の命を殺していったので、悪趣味ではあるが、思い切ってそちらの方向を考えざるをえなかった。そのとき、寺の外から突然、女の悲鳴が聞こえてきた。

「助けて!」

 謝憐と宣姫は同時に窓の外を見た。若邪が落ちた白輪のところで、ちょうど一人がその包帯の少年を外に引っ張り、小蛍がその人の足を必死に抱いて放さないところだった。大声で罵っているその人は、小彭頭だった。

「うせろ! このバカ野郎、女鬼を呼んじまったらどうするんだ!」

 小蛍は大声で言った。「来たら来たで構わない、あなたは鬼より怖いもの! 私は……私は女鬼に会ったほうがまし!」

 先程、謝憐が若邪綾に気絶させた小彭頭が目を覚まし、あたりをゆっくりと模索していた花嫁たちを見て、まず飛び上がると、すぐに彼女たちには人が見えないことに気づき、彼は大胆で無鉄砲にも、他人が動かないうちに、急いで包帯の少年を引きずって山を下り、懸賞金を独占しょうとしたのである。彼はこの少年が鬼新郎かどうかはどうでもよかった。どうせ山下のみんながそうだと言い伝えている。まさか小蛍が飛びかかってきて大声で叫ぶとは思いもしなかっただろう。周囲をうろついていた花嫁たちも、明光寺内を歩いていた宣姫も驚いた。謝憐は彼をまた見ると 、心の中でもっと彼を打って三日三晩目が覚めないようにすればよかったと思いながら叫んだ。

「輪の中へ戻れ!」

 小彭頭は黒霧が襲ってくるのを見て、あわてて戻ろうとしたが、手は包帯の少年を引きずり足に小蛍に掴まられていたため、ついには一歩遅れて、一瞬黒霧に挟まれると、宣姫の手に吸いこまれた。彼は振り返った。この髪を振り乱した不気味な女は、さっき彼が花嫁の列の中で触った美しい死体ではなかったか?

 やっと彼は恐怖を覚えて悲惨な大声を上げた。宣姫は五指を曲げて後頭部に差し込むと、一瞬で、頭蓋骨の蓋全体を彼の厚い脳の皮から剥がした。

 剥がされた頭蓋骨が湯気を立てて、彼はまだ口を開けて「ア――!!」と叫んでいた。

 白輪の中で魂消た人々も「アア――ッ!!」と、口を開いて叫んだ。

 小蛍も慄き、その包帯の少年の輪の中に引きずり込みながら叫んだ。宣姫がまた彼らへ五指を伸ばすと、謝憐が身を翻して止めに入った。

「将軍、罪を重ねないでください」

 彼は彼女を将軍と呼んで、彼女の注意をひこうとした。彼女はかつて戦場で突撃し、国家を守ってきた英雄であった。宣姫は手にした陰惨な悲鳴をあげる頭蓋骨を掴み、ひどく婉美な顔をしていたが、先程よりも七分変形していた。彼女は冷笑した。

「あの方は私に会う勇気がないのかしら?」

 謝憐は仕方なく、まず裴将軍からの遣いのふりをして相手をするべきかと考えたが、宣姫に彼の答えは必要なかった。彼女は大笑いして、猛然と向きを変えて、その神像を指さして言った。

「私は貴方の寺を焼き、貴方の土地で乱れている! 貴方が私に会いに来てくれるように。私は貴方を何年も待っているの!」

 彼女はしばらくその武神像を見ていたが、突然飛び上がると、その首を絞めて狂ったように揺れた。

「なぜ貴方はまだ私に会いに来ないの? 私に申し訳ないと思わないのか? 私の足を見ろ! 私の今の姿を見ろ! 私はすべて貴方のために、貴方のために! お前の心は鉄石でできているのか!」

 部外者として、誰が正しいかどうかを評価したくはないが、彼の個人的な感覚では思わずにはいられなかった。(彼に会いたいなら、なぜ正しいやり方に変えない? もし誰かがこんな方法で私に会いたがったら、絶対に会いたくないって思うよ。)

 一方で小蛍はついに包帯の少年と一緒に輪の中に戻ると、こちらを見て、心配そうに小声で言った。「公子……」声を聞くと謝憐は彼女にちょっと笑って、心配しないように合図した。しかし、彼が笑うと、宣姫の顔が歪んで、急に神像から飛びかかってきた。

「貴方は私を見ない、笑うのが好きな女を見るのが好きだった。なら私がたっぶりと見せてあげる!」

 彼女は謝憐を押さえつけていたが、その言葉は裴将軍に向けられていた。謝憐は、宣姫自身が愛する人と結婚できなかったために、嫁いだ花嫁がかごの中で幸せに微笑しているのを見ると、彼女は嫉妬していたのだと思っていた。まさか、裴将軍が笑うのが好きな女を好むせいで、彼女が意中の人と結婚して幸せそうな花嫁に錯乱しているのだとは思いもしなかった。山麓の明光寺を焼いてしまったのも無理はない。一日中、あらゆる女子が裴将軍の寺に出入りして、彼女たち同じ神像を分かち合うのは耐えられなかったのだろう。この女鬼はさすがの“凶”で、足を折っているが、行動は非常に迅速、若邪に打たれても力は尽きず、謝憐は彼女を無力化出来ずにいた。彼が若邪を呼び込もうとしたとき、大声が聞こえた。

「やあああああ――」

 少女蛍は、彼が女鬼と膠着状態になっているのを見て、地面から木の枝を拾うと突進してきた。どうやら自分で自分を勇気づけているようだった。宣姫は手を出すまでもなく、ただ陰鬱そうに振り返り、彼女が近づいてこないうちに飛び出し、数丈の外へ飛ぶと、小蛍の頭を下に身を上に向けて、思い切り落ち下ろした!

 包帯の少年はああと声をあげて駆け寄り、謝憐も驚いて身を起こした。後頭部がさっと冷たくなる。宣姫の五本の指が置かれていて、今にもさっきのように頭蓋骨を頭皮から剥がされそうになった。とっさに謝憐は右手で彼女の手首をつかんで、「縛れ!」と叫ぶ。

 ざざ、と空を破る音がすると、白綾が招かれて、宣姫の周りに九曲十曲を巻き、彼女をがらんじめに縛りあげた。宣姫は足を折っていて避けることができず、バタンと膝をつき地面に転がった。この白綾から抜け出そうとすればするほどきつくなっていく。やっと危険から抜け出すと、謝憐は息をつく間もなくすぐに立ち上がって、小蛍が落ちたところに向かって走って行った。

 若邪が片付けられれば、人々はむやみに動くことはできなかったが、幾人かの豪胆な村人はあたりを探っている花嫁に慣れ、彼女たちを包囲していた。包帯の少年は、彼女の地面に横たわった身体のそばにひざまずいて、慌てふためき為す術もない。熱い鍋の中の小虫のようだった。誰も彼女を動かすことができなかった。みんな彼女が転んで致命的なところを折ったのではないかと心配して、むやみに動かしさらにひどくなることを恐れていた。彼は素早く診断した。いくら注視しても無駄だと知りながら。この状態では、今にも息絶えてしまうだろう。

 この少女蛍との付き合いはあまり長くなく、交わした会話も多くはないが、醜い顔をしていても心に善意を持っていることは分かっていただけに、この結末は胸が重い。宣姫はしばらく若邪を解くことは出来ないはずだ。無駄ではあっても、死ぬときまでこの姿勢でいさせられないと思い、謝憐は慎重に彼女をひっくり返した。

 小蛍の顔は鮮血で濡れていて、見た人々はそばでため息をついた。彼女はまだ息があり、小声で言った。

「公子、私がやったことは裏目に出てしまいましたか……」

 裏目には出ていない、だが、彼女は確かに何の役にも立たなかった。あのとき、謝憐はもともと若邪を招くつもりで、他人の助けはいらなかった。あの枝は宣姫に当たってもなんにもならないし、まして、そもそも彼女は女鬼の身に近づけただろうか? 言ってしまえば、価値のない死だったといえる。

「いいえ。とても助かりましたよ。ほら、あなたが来て、あの女鬼の注意を引いてくれたから、私は隙を見つけて彼女を叩き伏せることができたんだ。本当にありがとう。でも、今度はそうはいかないから、手伝うには前もって私に言わないとだめだよ。でないと、反応できなくて大変なことになっていた」

 小蛍は笑った。

「ああ、公子、慰めなくてもいいですよ。私が役に立てなかったことも、次もないことも分かっています」。

 彼女の言葉ははっきりせず、口の血を吐くと、血の中には何本かの折れた前歯が混じっていた。包帯少年は急に震えると、ううと唸るばかりで何を言おうとしているのか分からない。小蛍は彼に言った。

「これからは山を下りて盗んだ物を食べてはだめ。人に見つかって、殴られたら終わりだよ」

「彼がお腹をすかせたら、私が何か食べさせるよ」

 それを聞くと、蛍は目を輝かせた。「……本当? よかった、ありがとうございます……」

 笑っていると、その小さな目からふと二筋の涙が流れてきた。

 彼女は小声で、「私はこの世に生きていて、何日も陽気でいたことがなかった」と言った。

 謝憐も何と言ったらいいのかわからず、彼女の手を軽く叩いた。小蛍はまたため息をついた。

「ああ、いいや、私が……生まれつき運が悪いからかも」

 本当におかしなことなのだが、彼女の鼻が曲がっていて目が傾いていて醜くて滑稽なものだから、こんなに血も涙も流しているのに、実は笑っているように見えた。

 彼女は涙を流した。「でも、それでも、私は……私はまだ……」

 そう言って、彼女は息絶えた。その包帯の少年は彼女が死んだのを見ると、彼女の死体を抱いて小声ですすり泣き、その拠りどころを失ったかのように頭を腹に埋めて、どうしても顔を上げることができなかった。

 謝憐は手を伸ばして彼女の両眼を閉じると、「君は私より強い」と心の中で言った。

 そのとき、奇妙な鐘の音が聞こえてきた。

 ダン! ダン! ダン! 三つの大きな音がして、一瞬、謝憐はめまいがした。「どうしたの?」

 あたりを見直すと、花嫁たちはよろよろと倒れ、腕だけが前に上がり、空に向かって突進していた。村人たちも倒れて、同時に耳をつんざくような鐘に打たれて昏睡に陥ったようだった。謝憐も、少しぼんやりしていて、片手で額を支え、よろよろと立ち上がったが、足元は柔らかく、半膝をついた。幸い一人が彼を支えて、顔をあげると、それは南風であった。七人の花嫁が森の中に入ってすぐに四方に散ると、南風は与君山のほとんどを駆け回り、彼女たちを漏れなく全部捕まえ、帰ってきたばかりだった。彼がとても落ち着いているのを見て、謝憐はすぐにたずねた。「この鐘の音がなにか分かる?」

「心配しないでください、救援です」

 彼の視線に沿って見ると、明光寺の前に、いつのまにか兵士の一列が現れていたことに気づいた。

 その兵士の一列はみな鎧をまとい、光り輝き凛々しく威厳があり、淡い霊光を身に帯びていた。兵の前方には長秀の若い武将が立っていて、明らかに凡人ではなかった。その武将は拱手すると謝憐の前に来て、少し身をかがめて、「太子殿下」と言った。

 謝憐がまだ口をきかないうちに、南風は低い声で、「裴将軍です」とつぶやいた。

 謝憐はすぐに、地面の上の宣姫を見た。「裴将軍?」

 この将軍は、彼の想像とも、神像とも大きく違っていた。その神像はきらびやかで、眉目が傲慢で、侵略の勢いを帯びた美しさであった。この若い武将も美しいが、顔は白く、眉は冷たい玉のように静かで、殺気もなく、波乱に驚かない冷静さしかなかった。武将といってもよいし、誅相といってもよい。

 裴将軍は、地面の上の宣姫を見て言った。

「霊文殿から知らせが入りました。今回の与君山のことは、我々明光殿と縁があるものだと。それゆえ駆けつけてきました。まさか真であるとは。ご苦労をおかけしました、太子殿下」

 謝憐は、霊文に感謝したくなった。霊文殿のどこが効率が悪いのか。

「裴将軍もお疲れさまです」
 
 そして宣姫は、もがいているうちに、「裴将軍」の三文字を聞きつけると、ふと顔をあげて、「裴郎、裴郎!」と熱心に言った。「貴方なの、来たのね? やっと来てくれたのね?」

 彼女は若邪に縛られていて、どんなに喜んでも膝をつくしかなかった。しかし、彼女は、その武将を見ると、真っ青な顔になった。「お前は誰だ」

 謝憐は南風に鬼新郎が一体なんだったのかを大まかに話していたが、彼女の問いを聞くと言った。

「裴将軍ではないのか? 彼女は長く待ちすぎて分からなくなってしまったのだろうか?」

 南風が言った。「裴将軍です。ですが彼女が待っている方ではない」

 謝憐は不思議に思った。「まさか、二人の裴将軍がいるのか?」

「ええ、お二人いらっしゃいます!」

 もともと、この女鬼宣姫が待っていた裴将軍は、明光殿の主神であったが、彼らの前にいたのは、明光殿の輔神であり、その将軍の子孫であった。呼ぶときは区別するために、この方を「小裴(シャオペイ)将軍」と呼んでいる。正統な明光殿は一正一反の二人を祀っていたのだ。裴将軍は本殿正神、神像は殿門の向かい。小裴将軍の神像は彼の裏に設けられていた。先人と後輩であっても、二人は兄弟のように見えた。一門から二人が飞升するとは、奇談の佳話といえる。

 宣姫が一通り眺めても、兵士の中に会いたい人を見つけられなかった。悲しげな声で言う。「裴茗は? あの方はどうして来ないのか? あの方はどうして私に会いに来ないのだ?」

 小裴将軍は小さくうなずいた。「裴将軍には要務がある」

「要務?」宣姫はつぶやいた。

 長い髪の下で、彼女は涙を流していた。

「私はあの人を何百年も待っているのよ、彼に何の任務があるというの? あの人は私に会うために、一晩で国の半分を横断してくれた、今のあの人にどんな要務があるの? あの人が私に会いに来れないほど重要なの? ある? あるわけないでしょう?」

「宣姫将軍」

 列に並んでいた二人の明光殿兵士が近づいた。若邪はたちまち宣姫から飛び退いて謝憐の手首にくるくると巻き付き直すと、謝憐はそれを軽くたたいてなだめた。宣姫はその二人の兵士に拘束されると、しばらく茫然としていたが、突然激しくもがき始め、天を指さして罵った。

「貴方を呪う!」

 彼女の大声は非常に鋭く、謝憐は呆気にとられつつ思った。これは子孫の前で先祖を罵倒することになるのだろうか?

 しかし、その小裴将軍は顔色を変えなかった。「笑止」

 宣姫は声を枯らして言った。

「私は貴方を呪う、貴方は永遠に誰も好きになってはいけない、でなければ、もしそんな日が来たら、私は貴方を呪って、私のように、永遠に、果てしなく、恋に身を燃やすことになる! 恋火は身を焼き、あなたの心と脾臓と肺腎を焼き尽くす!」

 そのとき、小裴将軍は謝憐らに言った。「失礼、少々お待ちください」彼は人差し指と中指を揃えて、こめかみに軽く当てた。通霊術を開く技であった。彼は誰かと通霊しているに違いない。しばし経つと「うん」と一声があり、手を放し改めて拱手すると、彼は宣姫の方を向いて言った。「裴将軍から貴女に言付けです――ありえぬ、と」

 宣姫は甲高い叫びをあげた。「貴方を呪うわ――!!」

 小裴将軍は、わずかに手をあげて言った。「連れて行け」

 二人の兵士は狂ったようにもがく宣姫を御して、引きずっていった。謝憐はたずねた。「小裴将軍、お聞きしてもいいですか、この宣姫将軍にはどのような処遇がくだされるのでしょう?」

「山下に鎮めます」

 山に鎮座させるのは、確かに天界が妖鬼を処理する際によく使われる法門だった。謝憐はしばし沈吟すると、「この宣姫将軍の怨念は重く、裴将軍のために国を裏切り自分の脚を折った恨みを忘れることはないかもしれませんが、鎮圧もまた長続きする策ではないかもしれません」と言った。

 小裴将軍はかすかに首をかしげた。「彼女は、裴将軍のために国に背いたと、そう言っていましたか?」

「彼女は確かに裴将軍のせいでこんなことになったと言っていましたが、実際のところどうだったのか、それは分かりません」

「まあ、間違ってはいません。裴将軍のために国に叛いたのは事実です。しかし、その詳細は、外部の者が考えているものと少々異なるかもしれません。裴将軍と彼女が別れたあと、宣姫将軍は彼を引き止めるために、軍事情報の提供を惜しみませんでした。裴将軍は、戦わずして勝利を得ることを好みませんでした」

 ……「貴方のために祖国を裏切った」というのが、そういうことだったとは思いもしなかった。謝憐は言った。

「では、彼女は脚が折れたのも裴将軍のせいだと言っていますが、これは……?」

「彼女は自分で脚を折りました」

 ……自分で折った?

 小裴将軍は淡々と言った。「たしかに裴将軍は我が強い女を好まない。だが、宣姫将軍の頑健さばかりはなぜ長続きしなかったのか。宣姫将軍は満足できず、裴将軍に申し上げた。彼女は彼のため喜んで自分を変え、自ら武功を廃し、自らの脚を折ると。言ってしまえば彼女は自らの双翼を断ち、自分を裴将軍のそばに縛ったに等しい。裴将軍は彼女を捨てずに彼女の面倒を看ましたが、結局彼女を娶ることはなかった。宣姫将軍は悲願を果たすことができず、恨みを抱いて自殺した。彼を想ってではなく、裴将軍を悲しませるためです。しかし率直に申し上げますと、」

 彼は終始礼儀正しく、冷静すぎる顔つきで、「それは成らなかった」と言った。

 謝憐は眉をもんで、口にはしなかったが、この人達はなんなのだろうと思った。

 小裴将軍はまた言った。「事の是非は、私にも分かりません。宣姫将軍が諦めていれば、こうはならなかったことしか。太子殿下、失礼いたします」

 謝憐も拱手して、彼らを見送った。南風は「珍妙」と評価した。

 彼自身も三界のお笑い種であるし、有名な珍妙なものなど、他人のことを言うのはやめたほうがいいと謝憐は思った。この裴将軍と宣姫の間のことについて彼は当事者ではないし、是非について論じるべきではないだろう。ただ、十七人の無実の花嫁と、護送していた武官や輿夫たちを憐れな目に遭わせたのは、不合理な災害ではなかったというだけ。

 花嫁といえば、彼がさっそく見に行くと、地面の上の十七人の花嫁の死体がいささか変化していた。白骨と化したものもあれば、腐り始めたものもあり、悪臭を放つものもある。臭いが人々を目覚めさせて、彼らはのんびりと目を覚ましたが、それらを見てまた驚嘆した。

 この機会に、謝憐は神妙に善悪因果応論をくどくど説いて、山を下りた後、花嫁みんなの冥福を祈り、何とか花嫁の家族に死体を受け取りに来てもらい、決してその死体を売ってはいけないし、やましいこともしてはいけないと注意しなければならなかった。これほど心臓に悪い夜を経験してせいか、率先して挑発する者は誰もおらず、みんな彼の話を聞き、あえてどこかで口答えすることもなかった。戦々恐々として――まるで悪夢を見たようだった。今回のことがあって彼らは気づいた。昨夜はどうして魔に掛かったような真似ができたのだろう? こんなに多くの死人がいるのに、彼らはどうして金稼ぎしか頭になかったのだろう? 振り返ってみると、自分が怖い。昨夜はみんなが数が多いことを笠に着て、誰かが先頭に立てば、よく考えずついて行った。今はびくびくして、皆おとなしく後悔して幸福を祈っている。

 まだ夜が明けておらず、山中にまだ狼の群れなどがいる恐れがあった。南風は山を一周したばかりだったが、またこんな大勢の人を連れて山を下りなければならなかった。彼は文句を言わずに謝憐と決めごとをすると、倒懸屍林などの後処理について相談した。

 その包帯少年は目を覚ました後、小蛍の死体のそばに座り、彼女を抱いたまま口を利かなかった。謝憐も彼のそばに座って、長い間腹案を考え、慰めを言おうとしたが、ふと、この少年の頭から血が出ていることに気づいた。

 倒懸屍林の血ならすでに乾いているはずだが、この血はまだ流れ続けていて、彼は怪我をしているらしかった。すぐに謝憐は彼に、「頭に傷があるね。包帯を外して診てあげる」と言った。

 その少年が緩慢に顔を上げると、血走った二つの目が彼を見た。臆病になっているようだった。謝憐は小さく笑った。

「恐がらないで。怪我があったら必ず治療しないといけません。見ても驚かないって約束するから」

 少年はしばらく迷っていたが、後ろを向いて、ゆっくりと頭の包帯を解きはじめた。彼の動作はゆっくりで、謝憐は辛抱強く待っていたが、心の中ではもう次の問題を考えていた。この少年はもう与君山にいられないだろうし、どこへ行くんだろう? 私と天界に戻るわけにもいかない。私は自分のことも満足にできないのだ、確かな方法を彼に考えてやらないと。それに、青鬼、戚容……。

 そのとき、その少年は包帯を外し、振り返った。

 謝憐はその顔を見て、全身の血が一瞬にして抜けていくような思いをした。





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Author:kirihata
中国語初心者です。原作の読み返しついでに自分なりに訳してます。
魔翻訳に毛が生えた程度なのでご了承ください。

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